競う ということ

瞑想中にフッと、競争する ということについて思いをめぐらせていた。

体育祭で競争するのは良くないから皆で手を繋いでゴール とか それホンマかいな~?都市伝説ちゃうのん?と思うのだけれど、そういうことが ある と仮定してお話を進めると、「競争は良くない」と考えている人ほど、「競争」という概念に縛られているのでは?とわたしは考える。

運動に限らず、勉強でも何でもそうなのだけれど、競争で何位になったか、何点取ったかということは、本来は人間を測るものさしの一つにしか過ぎないはず。
それはその人間のとある一部分に対する評価なだけであって、その人の全てをそれで測ったりすることはできない。

にもかかわらず、それにこだわりすぎている人が存在するとしたら、それは本来手段であったはずのモノに心を奪われて、その世界観に縛られて生きている ということになりはしないか?

競争に勝つ事で得られるものの大きさももちろんわかっているつもりだけれど、勝ち負け という単純な二極化で物事を見ていると、人間が生きていく上でもっと豊かになれる手段があるのに、それを見落としてしまいそうで、人生損した気になる。

心の中のものさしまで、外の世界と同じにする必要はないし、心の中のものさしには色々なスケールがあったほうが人生は豊かになると思う。

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bird in the sky

ここのところ、どうも天気の悪い日が続いていますが、この写真は数日前に撮ったもの。

変わった形の雲だなぁと思って撮ったのですが、なんとなく鳥が飛んでいるように見えません?

なんだかちょっと幸せ(^^♪

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手放す

少し前の話になりますが、先日の満月の日のこと。

満月の日というのは、一般的に色々とお願い事をしたり、欲しいものを念じたりするのに最適といわれている、「手に入れる」ための日ですが、わたしはその日に意を決して、「手放す」ことを行いました。
とにかく何でも手放すのが苦手で、ギリギリにならないと手放せない、そんなところがあって、これは手放したほうがいいんだな と思う場面でも、手放す事の方が持ち続ける事よりも苦痛に感じてしまい、手放せない・・・そんな事を繰り返してきました。
現状維持って、まぁそんなに悪い言葉じゃないと思いますが、悪い現状を維持してもねぇ(笑)
とにかくそんなこんなで、無駄になっているものを思い切って切る決断をして、実行に移しました。

手放すと決めた瞬間からエネルギー的にはもう動いていて、体がどんどんと軽くなっていくのを感じました。

そして・・・あっさりと、片付きました。

手放す前は、手放す事をあんなに怖がっていたのに、今となっては「あんなに簡単な事だったら、もっと早くにやっとけば良かったなぁ」と思う始末(苦笑)

あぁ、この気持ち、今までに何回も味わったような・・・。

Σ(゚д゚;)もしかして、この解放感が楽しくって、毎回ギリギリまで引っ張っているの?

うわ~なんて悪趣味な習慣(-_-;)

もう絶対やめよう、意識して手放そう・・・そう心に誓った満月の日でした。

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冬の香り

9月末だというのに、11月中旬並みの寒さ。
まぁなんとかなるかなぁとタカをくくっていたけれど、やはりどうしようもなく冷えが忍び寄ってくる。
6月まで使っていたストーブにはまだ灯油が残っていて、「試運転」と称してつけてみる。
違和感のない暖かさが、今日の気温の低さを物語って、燃える灯油の香りに冬の面影を見た。
またもうすぐ巡って来るのだね、あの寒い季節が。

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ゆうべの電話

ネット経由でお付き合いさせていただいている方と、初めて電話でお話してみた。
いつも波長やら、人生の目的が一致している人とお話しするときは、スッと溶けるような感覚がある。
時や、空間の隔たりを越えて、ずっと昔から知っていたように、懐かしささえ覚えるような、そんな溶け込む感覚・・・

そんな感覚を昨日も覚えた。

わたしはどちらかと言うと、「自分の伝えたい事は、きちんと言葉にして伝えたほうがいい」と、普段は思っているけれども、この溶けるような感覚はそれはそれで、なかなか味わう事のできない稀有で、そしてとても甘美なものだと思う。

みんながどうして、「チャネリング能力」を磨きたがるのか、ちょっとわかるような気がした。
そして改めて、チャネリング能力というものの難しさを思い知った、そんな夜だった。

チャネリングの難しさについては、また後日書こうと思います。

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ナポリタン

昨日は休日だったので、ものすごーく遅寝をしたあげく遅起きをしてしまいました。

もう昼だよ~という時間だったので、お昼は簡単にスパゲッティ・ナポリタンを製作。

そう、あのなつかしのナポリタン。
パスタなんてオシャレさんではなくて、ただただ懐かしいあの味をやってみようと(^^♪

でもまぁ、我が家は大人世帯なので、ちょっと背伸びして(笑)以前に買い置きしておいた、市販のナポリタンソースなるものを使ってみました。

ピーマンと、たまねぎ、ウインナーを切って炒めて、ゆでたスパゲッティを件のナポリタンソースで和えるだけ。

なかなかいい感じじゃな~い と、思って食べ始めたのですが、同居人と2人して顔を見合わせて、

「これ、何か違うね~」

「ナポリタンじゃないね~」

もちろん美味しいのですが、市販のソースはちょっとお上品過ぎて、スパゲッティ が パスタ になってしまっていました^_^;
やっぱりナポリタンはあのチープなカンジ(いい意味でね)でないと・・・

今度のお休みはケチャップでリトライしてみます(まだやるか?)

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正しいこと

あんまり考えたくはないけれど、癒しの世界にも派閥があったりする。
人間が2人以上いたら、そういうことになるのは当たり前といえば当たり前だけど。

どっちのやり方がいいだ、あっちが正しいだと、結構騒がしい。
わたしは・・・今はどこかに従属しているわけではない。
同じような志の仲間は沢山いるけれど。

同じ癒されたいという気持ちでも、求めるものは人それぞれだ。
ただひたすら、「あなたは悪くないよ、可哀想だよね~」という言葉を求めている人もいれば、「では、あなたの意識を変えることで、周りの環境を変えてみましょう」という世界を求めている人もいる。

求めてられているものがそれだけ違うのに、提供する側だけがどっちが正しいとか争ってるのはなんか笑える。
結果としてその人が前に進む力を得られればいーの、それでいーの って思うわたしは短絡的?
わたしはわたしの信念の下であれこれやっているけれど、どのレベルを求めるかはわたしが決める事ではないよね。

嬉しい思いも、苦い思いも色々と経験して、だんだんと求めるものが変わっていく というのは、自分の経験から身に染みてわかっている。
だから、今わたしが求めているものは正しいんやろか?とか考えなくっても大丈夫 と、みんなには伝えたい。
その時ほしいと思ったもの、その時手に入っちゃったもの、それが今のあなたに必要なもの。

みんなそれぞれの着地点が用意されているのだから、とりあえず動いてみよう。
動かないと、何も始まらないから。

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眠気の正体は・・・あらら^_^;

ここ数日原因不明の眠気に襲われていたわたし。
普段は夜更かしっ子で、平気で夜中の3時ぐらいまで起きてたりするのになんでかな~?と不思議に思いながら早めに就寝するようにしていましたが、昨日関節がだるくなりようやく気がつきました。

風邪やん!これ!(←あほ)

あはは・・・またやってしもたなぁ~^_^;

お医者に行くほどでもないし、とりあえずユーカリオイルを焚いて対処です。

季節の変わり目ですので、皆様もお気をつけて。

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その言葉、本当に大丈夫?

議論とは口汚くののしったり、相手を陥れたりすることであろうか?と、最近思う。

ニュースサイトなどの議論の場で、理論的、理性的な感覚に欠けた、ただ感情を爆発させるだけの書き込みを見たりすると特にそう思う。

ネット人格ってのがあるんだよ、素の場所で面と向かって意見を訊いたら、案外そんな事はいわないものさ と、慰めてくれる人もいるが、どうしてもわたしはそう安穏とは考えられない。

そういう人は、自分はオンライン、オフラインを使い分けているから大丈夫 というかもしれない。

ただ人が反応するのがおもしろいからやっているだけ というかもしれない。


でも、本当に大丈夫・・・?


人間「ない」ものは表現できない。
今あなたが外へ向けて表現しているものは、確実にあなたの心のどこかには「ある」こと。
例え遊び半分で、作っているんだよ~ん と言ってみても、あなたの心のどこかに飼っている「ある」ものがこぼれ出ているだけなのだ。

むろん、誰にでもどす黒い部分がある。
わたしも例外ではないけれど。

オンラインの世界は、そういう普段は抑えている心の中の猛獣を無制限に解放してもいい・・・と錯覚しやすい場所。

そこに相手の血のぬくもりとか、呼吸の音が感じられないからかもしれない。


子供のころ、汚い言葉を使うと、親からとても叱られた。
汚い言葉は、遊び半分で使っていても、心を汚すのだと。

ポジティブな言葉を唱える事で、自分をポジティブな環境へ導く、アファメーションという技法があるが、逆もまた真なり。

子供のころ、親からきつく言われていた事の真意は、そういうことだったのか と今更ながらに思う。

遊び半分であっても、自分の心の黒い部分を無制限に開放する事は、最初はコントロールしているつもりでも、次第に制御が利かなくなり、そのうち自分自身が自分自身の黒い部分に呑み込まれてしまうのではないかとわたしは思う。


その言葉、本当に大丈夫・・・?


わたしは例えパソコンを介していても、面と向かってその人に言えないようなことは言いたくない。
仕事柄、厳しい事も時々は言わないといけないけれど、思いやりと愛情を失ってはいけないといつも思っている。

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感想をUPしました

8月31日の無償セッションの感想をUPしました。

こちらからご覧下さい。

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