競う ということ
瞑想中にフッと、競争する ということについて思いをめぐらせていた。
体育祭で競争するのは良くないから皆で手を繋いでゴール とか それホンマかいな~?都市伝説ちゃうのん?と思うのだけれど、そういうことが ある と仮定してお話を進めると、「競争は良くない」と考えている人ほど、「競争」という概念に縛られているのでは?とわたしは考える。
運動に限らず、勉強でも何でもそうなのだけれど、競争で何位になったか、何点取ったかということは、本来は人間を測るものさしの一つにしか過ぎないはず。
それはその人間のとある一部分に対する評価なだけであって、その人の全てをそれで測ったりすることはできない。
にもかかわらず、それにこだわりすぎている人が存在するとしたら、それは本来手段であったはずのモノに心を奪われて、その世界観に縛られて生きている ということになりはしないか?
競争に勝つ事で得られるものの大きさももちろんわかっているつもりだけれど、勝ち負け という単純な二極化で物事を見ていると、人間が生きていく上でもっと豊かになれる手段があるのに、それを見落としてしまいそうで、人生損した気になる。
心の中のものさしまで、外の世界と同じにする必要はないし、心の中のものさしには色々なスケールがあったほうが人生は豊かになると思う。




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